アドリア海にペーザロという港町がある。イタリアを代表する作曲家のひとり、ロッシーニを生んだ町である。その地に暮らしたのは父親が投獄されるまでの僅か8年ではあったが、おそらく海の恵みが喜歌劇王幼年期の胃袋を満たしたことであろう。若くしてオペラ作曲家稼業から身を引き平穏な長い余生において食を追究した話はあまりにも有名である。グルメの先駆ということになる。 ペーザロはもちろん海に沿った町であるが少し内陸に入ればウルビーノというルネッサンスの画家、ラファエロや建築家、ブラマンテで知られる丘陵地もある。ここがまた食の宝庫でありイタリア東部のトリュフの産地としても知られている。パッサテッリという卵と小麦粉で練り込まれた蚕をイメージさせるスープパスタはこの地方の名物料理であり、またクレシアと呼ばれる多少厚めのピザ生地でハムや野菜などを挟み込んだものも当地に伝わる伝統料理である。ロッシーニという名のついた料理が数多く存在する中で、奇しくもこの町のために残された名称は見当たらない。
ペーザロとまったくの同緯度、東のアドリア海より西のティレニア海に抜けたあたりにプッチーニの生地ルッカはある。トスカーナ州の最西端は州都フィレンツェから車で40分ほど走ったところ、町全体を城壁が囲ういかにも幾多の戦いを潜り抜けてきた自治国色の強い町なのである。プッチーニの生家は町のほぼ中心にある。大聖堂や歌劇場(ジーリオ劇場)が町の南にあることを考えればその辺りを中心部とは言い難いのであろうが、作曲家が少年期に合唱隊の一員として音楽的な基礎を学んだ聖ミケーレ教会が壁内の中央にあり、現在プッチーニ博物館になっている生家をその隣に見つけることができる。 トスカーナは言わずと知れた食の宝庫である。一言でトスカーナと言ってもかなり広大であり、北はリグリアのラ・スペーツィアよりさらに北部から、南は西のティレニア海に面したポルト・サント・ステーファノ、そして最も東にあるアレッツォ・モンテローネから先述のペーザロまで車を飛ばせば僅か90分(65㎞)で行き着くことを考えても、どれほどトスカーナが広大であるかということがわかる。わたしの好きなトスカーナ料理はそのほとんどが南トスカーナであり、重要なことはワインとの組み合わせである。イタリアを代表するブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノなどがその代表であろうか。そのあたりのワインがことさら料理の深みを引き出すことになる。
堂満尚樹(音楽ライター)

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